ユーザーイリュージョン 意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想


デカルトが「我思う、ゆえに我あり」と言ったように、私たちは自らが思考することによって自らの存在、行動を裏付けるものだと認識しています。


しかし、本書では私たちの従来の常識とはかけ離れた見解が多数出てきます。


■人間は毎秒1100万ビット以上の情報を得ながら、わずか50ビット足らずしか意識には上がらない

■意識的に行動を決断する前に、すでに行動は始まっている

■意識は現実より0.5秒ほど遅れているのに、時間の繰り上げを行って、あたかもリアルタイムで機能し、すべてを把握・管理しているかのようなふりをしている



つまり、意識というものは現実からの膨大な情報に対応するために多くの情報を捨てたあとのものでしかないということ。


しかも、意識的に行動を起こす前に、潜在意識ではすでに行動が始まっているということは、潜在意識は現実からの1100万ビット以上の情報に対処することができるということではないのか。


つまり、我々が意識の上で、理解をしたり思考したりしていたことを、そのまま潜在意識で処理することができれば、より効率的・効果的な情報処理が可能になるんじゃないかなと思います。


どういうことかというと、今まで本を読むときにも1文字1文字意識の上で理解しながら行ってきましたが、ただページを見るという行動を行うだけで内容を理解することも不可能ではない、いわゆるフォトリーディングの考えに非常に近いものになるのではないかと思います。



意識という狭い出入口ではなく、もっと間口の広い潜在意識を利用する。


本書は、このような新しいフレームワークを与えています。

特に、フォトリーダーには必見の1冊だと思います。



※実際、本書を読んでいる最中、「意識という幻想」を体験する機会がありました。

先日、睡眠不足と二日酔いの状態で運動をしたら、眩暈がして視界がモザイク状になり、倒れてしまいました。

そのとき、朦朧とした頭で考えたことは、視界がモザイク状に見えるということは、意識でものを見る前に、無意識の状態でかなりの情報処理を行っているということです。

つまり、私たちの意識に上る前に捨てている外情報はやはりたくさんあるんだなという気づきを得ることができました。






ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想